2015年5月28日木曜日

27回目の誕生日

27回目の誕生日。
お母さんになって初めて迎えた誕生日は
いつもとちがって
お母さんに感謝でいっぱいになった一日でした。

ゆうとの夜泣きで4時からおこされ、
何度も寝かしつけに失敗しては
1時間半ぐらい真っ暗なアパートをいったりきたり。

ふと、「今日、誕生日だったや」と思って
27年前のお母さんもこんな風に泣き虫富士香に
毎日くたくただったんだろうなと想像したら
妙に感謝で胸が熱くなった。

こんな小さい富士香が27年でこんなに大きくなって
今度はお母さんしてるなんてあの頃のお母さんは想像できたかな。

お母さんがたくさん犠牲払って、
やりたい事たくさん我慢して、
毎日泣き虫といっしょに泣きたくなって、
何もできない自分をゆるしながら27年間富士香を育ててくれたこと

感謝してる。

今になってようやく5月26日はいわってもらう日ではなく
感謝する日だとしったわたしでした。


2015年4月27日月曜日

コロンバス神殿へ

ゆうとが産まれてから神殿へ行けていなかったんだけど
総大会をみて、神殿に行く必要があると強く感じて
デビンとコロンバス神殿まで行く事にした4月最後の土曜日。

人生初のベビーシッターにあずけられたゆうと。
泣き叫んで迷惑かけないか心配したんだけど、
無事に両親が帰ってくるまでぐっすり寝てくれたと聞いて安心。

神殿はやっぱりいいなーと感じたわたし。




朝6時出発。コロンバスへ2時間かけての遠出。
眠たくてしかたなかったんだけど
デビンと入った神殿はとってもいい時間で。




外があまりにいい天気だったので
コロンバスから帰ってきて
休む暇なく家族で近くの公園へおさんぽ。



ゆうとが乗るベビーカーをふたりで交換しながら押して
時間をわすれていろんなはなしをした。



そんな質素なしあわせに、感謝せずにはいられなくて、
神殿帰りのなごりか、幸せで胸がいっぱいになったふじかでした。

福音を中心とした生活をしようと努力するときに家族が祝福されるとは
こういうことなんだろうな。
御霊がみんなを幸せにしてくれていることを実感した時間。

こんな時間がずっとつづけばいいのにな。




かみ​の​いましめ​を​まもる​もの​の​しゅくふく​された​​こうふく​な​じょうたい​に​ついて​も​かんがえて​ほしい。
よ、これら​の​もの​は​ぶっしつてき​に​も​霊的れいてき​に​も、すべて​の​こと​に​ついて​​しゅくふく​を​ける。そして、もし​さい​まで​​ちゅうじつ​で​あり​つづける​なら​ば、かれら​は​​てん​に​むかえられ、けっして​わり​の​ない​こうふく​な​じょうたい​で​かみ​と​ともに​める​の​で​ある。おお、これら​の​こと​が​真実しんじつ​で​ある​こと​を​おく​に​とどめ、おぼえて​おき​なさい。
しゅ​なる​かみ​が​これ​を​われた​から​で​ある。」


モーサヤ2章41節


2015年4月13日月曜日

福音を実践する時

いろいろあった一週間

ミスコミュニケーションからの大げんか
プラス産後うつの影響か感情コントロールがオーバーヒートの富士香。
爆発はただただ悪化していくばかりで
本当は週末に神殿にも行く予定あったのに
それもキャンセルするぐらいの富士山大噴火。笑
本当に大変だったけど

おかげで御霊がくれる平安についてよく考えることができた一週間でした。

最近本当にたくさんのすれ違いがあって
どうしたらいいのかわからない事だらけで
ずっと祈りをとおして神様に相談してたんだけど

その祈りの答えに何度も気づかされた一週間でした。

福音の教えを家庭に取り入れるとこのすれ違いが整えられていくというか。
前向きに仲直りできたのもきっと御霊が助けてくれたってはっきり言える。



結婚してから何度も夫婦で聖典を読む習慣をもちたいとおもってきたんだけど
なかなか続かず、やっぱりどっちか一人で読むようになっていたわたしたち。

でも、ゆうとが産まれる少し前からもう一度いっしょに読めるように時間を設定して優先をそこにおこうと決め、つづけること数ヶ月。

読めなかった日と読めた日の違いはかなり大きいことがよくわかるようになってきた今日この頃。

だんだんそれが習慣になり、それが一日の楽しみになっている毎日で。

なにをしていても夜10時には手を止め、3人で聖典を読む。
どんなに長くても短くても1章か2章ずつだと苦にならないからと
ちょっとずつなんだけどいっしょに読む。
そして3人でいっしょに祈るときに
本当に家族が強められている事を感じる日々で。

もちろん、すれ違いやけんかはいつもどおりあるんだけど(笑)
毎晩10時には3人集まって一日を終えるときに
どんなへそまがりな考えも素直になれるようで、
仲直りして寝る事ができるようになってきた。

今週は特に御霊の助けを感じた一週間でした。

家族世界への宣言にあるように

“家庭生活における幸福は,主イエス・キリスト の教えに基づいた生活を送るときに達成されるに違いありません。実りある結婚と家庭は,信仰と祈り,悔い改 め,赦ゆる し,尊敬,愛,思いやり,労働,健全な娯楽活動 の原則にのっとって確立され,維持されます。”

これはまさにそのとおりだなとすこしずつ実感中の新米3人家族。
まだまだ立派な教会員というにはほどとおい仲間家だけど福音を楽しんで学んでいけるように、ゆうとに教えていけるようにがんばらないとなと感じた富士香でした


2015年3月29日日曜日

幼児の祝福

大学院の春休みに
デビンの両親がわたしたちをハワイへ呼んでくれて
一週間だけだけど太陽とカロリーを充電することができたのは本当に大きな祝福で。

おかげで心も体も元気がみなぎってる富士香。

ハワイでの一週間は本当夢のようで。
久しぶりに会う仲間や家族との再会は本当に幸せいっぱいでした。

ハワイ滞在最終日はゆうとの幼児の祝福。
ぎりぎりまで人生初の幼児の祝福にとまどっていたデビンだったけど(笑)
ゆうとは無事に祝福してもらって
御霊にみたされたすてきな日曜日になりました。

デビンのお父さんがこんな証をしてた。
「25年前、わたしはこの場所で、同じように幼児の祝福をしました。ここにいるデビンが福音の中で正しく育つように、すばらしい神権者として時がきたら神殿でエンダウメントをうけること、主の僕として伝道に行く事、永遠の伴侶と神殿で結婚する事を祈ったのを覚えています。」と。

「その祈りがすべてかなった事を今確認しました」と。

そんな証を聞きながら、涙がたくさん出てきて、デビンのお父さんがデビンをこうして育ててきてくれた事に感謝しました。
デビンのお父さんは改宗者で知らない事多かったはずなのに一生懸命デビンにとっていい模範になってくれた事は本当にありがたい事で。

25年後、今度はゆうとがお父さんとして、わたしがおばあちゃんとしてこういう場に居れたらって想像するだけで涙もろい富士香でした。笑

ゆうとへ

福音の中でゆうとを育てることができるように
お父さんだけじゃなくてお母さんも祈ったんだよ。
そしてかならずゆうとを立派な神権者にすることを誓ったんだ
こんな両親だけど
いつかゆうとがゆうとの娘、息子たちの自慢のお父さんになれるように
これからいっしょに準備していこうね。






2015年3月16日月曜日

無力なお母さん

もう一つのブログにも書いたように(NakamaStory.com子供は偉大な先生
今週は自分がお母さんでいることの大変さをとくに感じた一週間で。

体調が優れないのか泣いてばかりいるゆうとに
何もしてあげる事できないことに悔しい思いばかりしていた毎日でした。


お母さんとしての無力さと
自分の母乳のせいでゆうとを苦しめてしまっているという罪悪感、
泣いてばかりいるゆうとに怒鳴ってしまったり、
いろんな葛藤があって苦しい一週間でもあって。


今日、教会にいってもっといいお母さんになれるよう祈っていたら、
3時間目が終わって帰ろうとしたときある姉妹が
どこからともなくよって来てなにも言わないのにハグをしてくれました。
今まであんまり話した事なかったのに富士香の顔をみて心配になったのか(笑)
わざわざ遠くからこえかけに来てくれた姉妹。


パートメンバーの彼女は7人子供がいて、そのうちの5人は教会へ行く事がゆるされているとかで、毎週ひとりで10歳から0歳の子供を連れてくるたくましいお母さん。
一番上の子は障害があって10年ちかく
夜中は一睡もせずにこの子を世話して、
下の子は心臓に病気を抱えてるからそれも大変だったとはなしをしてくれて、

そんな彼女の話を聞いてたら
たった一人のゆうとの夜泣きごときで泣き言いってる自分がはずかしくなって。

でもその彼女が言ったことが
「最初の子がわたしを7人育てられるお母さんにしてくれた」
障害があって、人一倍手がかかって、寝る時間たくさん犠牲にしてきたけど、おかげで普通には学べない事をたくさん学ばせてもらったと。

「だからFujiも、ゆうととたくさん泣いてたくさん学べばいい。」
「どんなに自分が無力に感じても、立派なお母さんになれなくても、ゆうとを愛することさえ忘れなければそれでいいんだから。」と。


その言葉は祈りの答えなのかもしれないと思うと
急に胸があつくなって涙をこらえられなくなって。
まわりの人は富士香にいったい何がおこったのだろうと不安そうにしてるなか、
そんなのおかまいなしに涙がどんどんこみ上げてきて、
神様が富士香に天使をおくってくれたことを知りました。


孤独に感じる時や自分が無力だと感じる時にも、
神様はいつもわたしの祈りを聞いてくれて、
自分がいるべき場所にいるときに
会うべき人を備えてくれている事を感じました。
いつも不思議な方法で祈りを答えてくれる神様。


ゆうとのお母さんとしてまだまだ手探りで
立派なお母さんにはなれないけど
この姉妹に言われたように
ゆうとを愛する事はだれにも負けないお母さんになる。
そしていつかこの姉妹みたいに、
疲れきった新米ママをの祈りの答えになれますように。

息子​よ、あなた​の​こころ​に​平安へいあん​が​ある​よう​に。
あなた​の​​逆境ぎゃっきょう​と​あなた​の​なん​は、つかの​に​すぎない。

あなた​の​​友人ゆうじん​たち​は​まことに​あなた​の​かたわら​に​って​いる。
そして、かれら​は​あたたかい​こころ​と​したしみ​の​ある​​を​もって、
ふたたび​あなた​を​かん​して​むかえる​で​あろう。




2015年3月14日土曜日

訪問教師

オハイオに引っ越してから、だれも友達がいなかったわたしを
一番気にかけてくれた人。

訪問教師のレイチェルさん。
若くして三人の子を持つ優しいお母さん。
まっすぐな性格と一生懸命さがとってもすてきな彼女をみていると、
「いい人ってこういう人のことを言うんだろうなー」とよくおもう。

毎月、いや、毎週のように連絡くれて、
とくに、ゆうとが産まれてからは、なかなか外出できなでしょうと
お菓子作ってきたり、ごはん差し入れしてくれたりと、
とても親切で気が利くレイチェルさん。

今日は、子供を学校に迎えにいくついでに立ち寄ったと
寝不足育児につかれきっている私のもとへきてくれて、
学校が終わるまでの時間、私の話を親身になって聞いてくれた。

寝ているゆうとのゆらゆらスイングを囲み、
アメリカ人にはなれない”地面にあぐらスタイル”でただただ話を聞いてくれて。



立派なアドバイスをあげるわけでも、寝不足が解消するわけでもないけど、
こうして話をきいてくれて、誰かがわたしを気にかけてくれているということがわかっただけで気が楽になった時間。

毎月の訪問教師を、宿題のごとくすることが多かった私には、
こうして心から誰かを思い、誰かを支えたいと思って本当の「友達」になってくれるレイチェルさんの模範に大切なことを学ばされました。

こうして世界中どこに行っても福音はわたしを”良い人たち”のなかに導いてくれます。その中でいつも大切なことを学べることに感謝しています。福音に忠実に生きようと努力している人たちを見るとき、それが福音への生きた証になり、
わたしもそういう人になりたいなーと思えるようになって、

イエスキリストの福音は、私の生活や人柄をより良いものにしてくれることを知ることができます。


あい​は​ながく​しのび、親切しんせつ​で​あり、​ねたまず、ほこらず、ぶん​の​えき​を​もとめず、よう​に​いからず、あく​を​すこしも​かんがえず、ざいあく​を​よろこばないで​真実しんじつ​を​よろこび、すべて​を​しのび、すべて​を​しんじ、すべて​を​のぞみ、すべて​に​える。
    しかし、この​​あい​は​キリスト​の​じゅんすい​な​​あい​で​あって、とこしえ​に​つづく。そして、わり​の​​に​この​あい​を​って​いる​と​みとめられる​ひと​は、さいわい​で​ある。
  したがって、わたし​の​あいする​同胞はらから​よ、あなたがた​は、御父おんちち​が​おん​イエス・​キリスト​に​しん​に​​したがう​もの​すべて​に​さずけられた​この​あい​で​たされる​よう​に、また​かみ​の​​と​なれる​よう​に、ねつ​を​めて​御父おんちち​に​​いのり​なさい。また、おん​が​しん​を​あらわされる​とき​に、わたしたち​は​ありのまま​の​姿すがた​の​おん​に​まみえる​の​で、おん​に​​た​もの​と​なれる​よう​に、また​わたしたち​が​この​ぼう​を​てる​よう​に、さらに​わたしたち​が​​きよめられて​きよい​おん​と​おなじ​よう​に​なれる​よう、ねつ​を​めて​御父おんちち​に​いのり​なさい。”

2015年3月9日月曜日

三人で教会にいった日

デビン:「ふじー、ちっちゃい大統領さんがいるんだ!」(ん?)

聖餐会の静まりかえった中、急になにを言うかと思ったら、目の前の列にジョージブッシュそっくりな男の子がいて、それに目が釘付けのデビン。笑 
そんなことから始まった今日の教会はいつもとは違う特別な日で。

なんていったって、家族三人で参加する初の日曜日。


ゆーとが産まれて7週間、最初はお母さんが3週間、デビンママが2週間、その間も大雪で教会が中止になったりといろいろあって一度も三人で教会に行ったことがなくて。
ということで待ちに待って、やっと三人で教会に行ける日がきたんだと、目の前のチャイルドシートに寝てるゆーとをながめながら幸せな気持ちを感じた日でした。

そんな中、ある兄弟が聖餐会でこんな話をしていて。
25年前、両親を自動車事故でなくしてしまったこと、その事故を起こしたのは交通ルールを破った17歳の女の子だったと。人の過ちを許すこと、大切な両親を一瞬で亡くしたこと、苦しさと悲しさでこの兄弟はその後教会をはなれたこと。何十年もかけてようやくイエスキリストの贖いの力を知ったと話してくれました。

両親を失った家族、事故を起こした人の家族のことを考えると胸が苦しくなりました。自分がおなじ状況にいたらどうしていたんだろう。


 それと同時に、すべての人が通っていく苦しい経験や試練、悲しみや憎しみ、人の弱さ、死をも、イエスキリストというお方の「贖い」をとおして、平安、希望、赦しにかえることができることのすごさををこの兄弟の証をきいて改めて実感しました。

神様が私たちにあたえてくれた大きな大きな犠牲と愛のかたち。
自分の息子の命をかけてその道を作ってくれたことの大変さに、母親になった今、前よりもっと感謝するようになって。

目の前ですやすや寝ているわたしの息子と、この世だけじゃなく、天の家でも永遠に一緒にいられる道があることに感謝でいっぱいになった日曜日。

世界で一番大切な人たちと今の人生だけでなく永遠をともにできることほど大きな幸せはない。だからこんな私も日々努力してその大きなご褒美にふさわしい人になりたい。


”そして​かみ​の​おん​は、あらゆる​つう​と​​なん​と​れん​を​けられる。
これ​は、かみ​の​おん​は​ぶん​の​たみ​の​つう​と​やまい​を​​に​けられる​と​いう​こと​が​じょうじゅ​する​ため​で​ある。
   また​かみ​の​おん​は、ぶん​の​たみ​を​そくばく​して​いる​​の​なわ​を​く​ため​に、
しん​に​​​を​けられる。また​かみ​の​おん​は、にく​に​おいて​ぶん​の​こころ​が​あわれみ​で​たされる​よう​に、
また​ぶん​の​たみ​を​かれら​の​よわさ​に​おうじて​どの​よう​に​​すくう​か​を​にく​に​おいて​る​こと​が​できる​よう​に、かれら​の​よわさ​を​ぶん​に​けられる。”
-アルマ7章11節-








2015年3月7日土曜日

小版はじまり

”わたし​​ニーファイ​は​​い​​両親りょうしん​から​まれた​ので、
ちち​が​まなんだ​すべて​の​こと​の​なか​から​いくらか​の​​おしえ​を​けた。
わたし​は​これまで​の​人生じんせい​で​おおく​の​​なん​に​った​が、
まれて​このかた​しゅ​の​あつい​めぐみ​を​け、
まことに​かみ​の​いつくしみ​と​​おく​を​ふかく​った。
そこで、まれて​から​これまで​の​あいだ​に​おこなって​きた​こと​を​​ろく​する。”

-第一ニーファイ1章1節-

仲間富士香(26)、沖縄生まれ沖縄育ち、ばりばり日本人のわたしが、
BYUHawaiiにて出会ったアメリカ人と結婚し、最近息子がうまれ、
忙しい毎日を送っているオハイオ州での生活。(くわしいプロフィールはこちら
海外での生活はいろいろ大変なこともあるけど、
いつもたくさんの人たちに支えられて生活出来ることに感謝感謝の日々。

英語での生活には慣れているつもりなんだけど、でもやっぱり思っていることを日本語で表現したくて、自分なりの独り言ブログをつくってみました。

国際結婚のブログは前々から書いていたものの(こちら仲間ストーリー)、あれはモルモン書で言う大版のようなものだから、もう少し心に感じた気持ちを素直にかけるように、今度はここに小版もつづっていこうと思います。

いつか自分の人生を振り返ったときに
神様にもっともっと感謝できるように、

ニーファイのように良い記録を残して、
今度はわたしが未来の子供の力になれるように、
日頃の小さな奇跡や私の信じているものを少しずつ記していきます。